2009年 02月 16日
フォト・エッセイ 第二章 「先生の夢」
 五年生の二学期も終わろうとする頃、私は父の転勤で地方に引っ越すことになった。
初めての転校である。

 当時、東京での学校の成績に関しては、全く良いところがなかったJAZZ少年であったのだが、母は東京より人口の少ない地方に転校すれば多少なりとも成績は上がるのではと淡い期待をしていたようだった。
 そんな母の期待を一身に背負った私ではあったが、全国どこに行こうと教育レベルなどそんなに違いのある筈もなく、生徒数も大差なかったために、母の期待をものの見事に裏切って、いつもの後ろから数えた方が早い定位置に落ち着いてしまったのだった。
母の落胆振りは想像に難くないが・・・・。

 そんなJAZZ少年ではあったのだが、転校後まもなくとんでもない事件が起こった。
市が主催する記念式典にお声が掛かったのである。
私にしてみればまさに偉業とも呼べる出来事であった。
何しろ、腐っても鯛!
代表みたいなもんですし!
しかし、担任のK先生に職員室に呼ばれた時、
『おまえは標準語で話せるんだから、しっかりやってこいよな!』
って、「標準語で話せる」のが理由だった。
掴みかけたJAZZ少年の自信は、薄氷のように割れていったのである。
もう一人の女子も転校してきた生徒だったらしいが今となっては真偽のほどは不明・・・・。

 そのK先生は、無類のカメラマニアであった。
サラリーマンの平均年収にもなるような高価なカメラを持っていた。
私の記憶によれば、それは、Nikon SPであった。
f0149209_2111317.jpg

それも複数台所有していたのである。
 もちろん、その当時はそんなに高価なものであるなんて、ちっとも分からなかったが。
そのK先生には、お気に入りの生徒がいた。
学級委員のHだ。
確かに成績は良いし、性格は温厚で、K先生自慢の生徒であった。
休み時間に、K先生がいつものようカメラで生徒達の写真を撮っていた時である。
『おい、H』
『お前がT大に合格したら、このカメラをあげよう!』

と言ったのである。
それを近くで聞いていたTが、
『おれが、入ったらくれるよね?』
と、おどけて言ってみせた。
K先生は、
『そうだな~、あげても良いよ!』
と答えていたが、その言葉にはちょっと力がなかったようだ。
しかし、そのことでJAZZ少年にとっては、父のカメラとは明らかに違う意味で、カメラが特別な存在になり始めていたのである。
たかがカメラではあったが、それは先生の期待を一身に背負うほどの価値のあるものだと言うことが分かったからである。

 今で言う依怙贔屓だとは判ってはいたが、それはそれで先生らしい「教師としての夢」があって私は反発を感じなかった。
それは、カメラをあげるあげないの問題ではなく、K先生はご自分なりの夢をそんな形に変えて冗談のようなつもりで言ったまでだと思う。
第一、Hから比べれば、算数や国語の成績が『2』のJAZZ少年は眼中にはなかったのだから!
K先生は、教え子がT大に合格することを心から願っていたに違いなかった。
それは、教え子にカメラをあげてでも願わざるを得ないような先生の大きな大きな夢だったのである。

しかし、その夢の行方について、K先生は分からぬまま他界されてしまったのである。
もちろん、私自身もHがT大に入ったかどうかは、知る由もなかった・・・・・。

by jazz-photo | 2009-02-16 21:12 | フォトエッセイ | Comments(12)
Commented by lemon080911 at 2009-02-17 01:52
先生の大きな大きな夢だったのですね。。。
コンデジになるまでに何台ものカメラに出会って子供の成長にビデオカメラも2台
今は使ってないわねw
フイルムも現像も無しで簡単にPCに保存して便利なものがコンデジも4台目かなw
Commented by 小鈴 at 2009-02-17 08:24 x
転校によって、先生との出会いによって、そのような道筋ができたのですね。
できごとによって、JAZZ少年はカメラを強く意識することになったのですね。

このあと、どんな関わり合いが生まれるのでしょう。
Commented by at 2009-02-17 14:40 x
Jazzさんのエッセイ、読んでいて情景が浮かんできます^^
文章を書くのがお上手ですね
私はとても下手で苦手なんです^^;
下のエッセイでJazz少年と同じような話を聞いた事があります
知り合いの小母さんの子供さんで、やはり小学生の頃勢い良くただいま~と
玄関に入って来たのは分かったけど、姿が見えないから窓の外を見ると
勢い余って窓の外に飛び出していたと・・・
ウソの様な本当の話でした(爆)
懐かしく思い出しました^^

第3章、4章が楽しみです^^
Commented by 藤九郎 at 2009-02-17 18:33 x
先生の夢はどうなったんでしょうか。
それにしても、合格していたらこのカメラを・・・。
jazzさんがカメラ・写真好きへと進む、大きなきっかけだったんですね。
Commented by M-Y-photoblog at 2009-02-17 18:35
やばい・・・
第三章が待ち遠しいです!笑
JAZZさんは子供の時からカメラと縁があったのですね~。
僕が写真に興味を持ったとき、使い捨てカメラが横行していて・・・
そればっかり使ってました。
うちの親父さんもなんか良いカメラもってないかな~笑
Commented by reev21 at 2009-02-17 20:45 x
こんばんわ☆

しみじみとしたヒストリーですね。
Jazzさんの原点、写真・ブログの原点を垣間見てるようで、
ワクワクした気分になります。
Nikon SPか~。
今でも高級機ですものね。
持ってるだけでも嬉しさ倍増のカメラです。
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:02
lemon080911さん、こんばんは。
ええ、田舎の教師にとって勲章にも匹敵するような夢だったんだと思います。
確かにビデオカメラは使わないし、要らないなあ・・・・・。
やはり、写真のようなトキメキがないような気がしますね。
コンデジ4台目とは凄いですね。
天晴れです!
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:09
小鈴さん、こんばんは。
はい。
小学生の頃って、その環境にあるもので強い影響を受けるようですね。
それが今のようなオヤジになっても続いているなんて不思議な気がします。

この後、次第に趣味に偏って行きます。
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:13
風さん、こんばんは。
そう言って頂けると嬉しいですね。
文章、判りますか???
この頃、国語は『2』でしたから、文章を書くのはもちろん、作文は苦手でした。

横並びで薄っぺらい家なので、私達は『ハモニカ長屋』って呼んでました。
家の幅は3畳分くらいしかなかった様な記憶があります。

4章アップしました。
プレッシャーもありますが、期待されると嬉しいです!
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:17
藤九郎さん、こんばんは。
先生の夢は夢のままで終わったのではないかと思います。
でも、きっとその方が良かったのではないかと思いますね。
もし合格していたら、カメラ全部をあげていたかも知れませんよ。

K木先生はカメラに関しては大きなきっかけを作ってくれました。
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:21
M-Y-photoblogさん、こんばんは。
そうですか?
ありがとうございます。
今夜、アップいたしました。

そうなんですね。
こうやって、ブログでご紹介するのは恥ずかしいですが、私のカメラ好きを知っていただけるだけでも嬉しいような気がします。
お父様に聞いてみてはいかがですか?
きっと何か出てきますよ!
Commented by jazz-photo at 2009-02-17 22:23
reevさん、こんばんは。
reevさんに読まれるとちょっと恥ずかしいですね。
舞台裏がバレバレですね。
ませたガキだったんですよ。
いまでも、悪ガキがオヤジになったような感じですけど!
SPはNikon好きの憧れのようなところもありますね。


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