2009年 02月 21日
写真を撮るテクニックやカメラの扱いに慣れてきた頃、やはり『PETRI V6』では撮影に限界と言うものがあることが判ってきた。 こうしてみると、高級機と入門機との大きな違いは、撮影できる『可能性』の違いとメカとしての『信頼性』の違いであることが実感された。 しかし、中学生の身では高級機などとは縁がないのは当たり前である。 ある時、母の付き合いで、市内のデパートに買い物に行った際、一階に新しいカメラ店が開店していることに気づいた。 そのカメラ店は『オプト』と言う店で、間口の狭い本当に小さなお店だった。 入口から覗いてみると小さなショーウィンドーがあってその前にやはり小さなカウンターがあるだけだったが、そのカウンターの上にある『モノ』に視線が釘付けになった。 そこには、やはり『Nikon F』と同じく当時のJAZZ少年の憧れの的であった『Canon PELLIX』と言うカメラがさりげなく置かれていたのである。 『Canon PELLIX』と言うカメラは、当時のキャノンが威信をかけて開発した高級一眼レフで、革新的なメカを採用していたにもかかわらず商業的には決して成功しなかった悲運のモデルであった。 しかし、そんな悲運さも裏を返せば売れていないと言うことであり、実に珍しいカメラであった。 カタログ以外で、実物を初めて目にした興奮のため、その夜はなかなか寝付かれなかった。 それ以来、あのカメラ屋さんが気になって仕方がなかったのだが、中学生が入れるような雰囲気ではなかった。 そこで、蝶を撮影したフィルムを『オプト』さんに現像依頼すれば店に入るきっかけになると考えて、思いきってお店に入ってみたのである。 お店に入ってみると、店内には優しそうなお姉さんが一人で切り盛りされていて、カウンターの上には先日見たあの『Canon PELLIX』が置かれていた。 恐る恐る聞いてみると、この『Canon PELLIX』はお姉さんの個人的持ち物と言うことであった。 そのカメラには憧れの大口径レンズ58mm/F1.2が付いていた。 その話題でお姉さんとはカメラ談義に花が咲いて、それ以来このお店がJAZZ少年のホームグランドになったのである。 しばらくして、お店に蝶を撮影したフィルムの現像を頼みに言った時、お姉さんが、 『PELLIXが好きなら、貸してあげますから使ってみたら?』 『お店の商品じゃないし、気兼ねは要りませんよ。』 『私は今、あまり使っていないし、大丈夫だから。』と言ってくれた。 普通だったら、大人の給料一か月分より高いカメラを単にカメラ好きのガキに貸してくれるような奇特な人なんていない筈である。 今考えれば、随分思い切ったものだ。 当時のJAZZ少年は好奇心が何より先行していたのか、二つ返事でその貴重な『Canon PELLIX』を借り受けた。 使ってみると、これが私の『PETRI V6』とはまさに雲泥の差であった。 気持ちの良い操作感で、これぞカメラという感じだった。 実は、それからウン十年経過した今、JAZZオヤジは当時の憧れだった『Canon PELLIX』を手に入れたのである。 思い出の『オプト』もそれから間もなく閉店してしまった。 何の御礼も出来ないまま、ある日突然に『オプト』との縁は切れてしまったのである。 いつも中学生のガキに優しく接してくれたあのお姉さんは、今でも写真を撮っているのだろうか? 『Canon PELLIX』を見る度に思い出すのである。 一方で、相変わらずJAZZ少年は『PETRI V6』で野山の蝶を追い掛け回し、何時しか高校二年生になっていたのである。 しかしその頃、流石の『PETRI V6』も使い過ぎてガタが目立ち始めた。 そして、『新しいカメラが欲しい』病が発症したのである。 どうせ買うならブラックボディーが欲しいと思うようになった。 何せ、今のおもちゃの様な単に黒いカメラとは全く別物の、手工芸品的な『美』を感じさせるカメラだったのである。 真鍮の上に丁寧に塗装を施した美しいカメラだった。 当時、なぜブラックボディーが必要かと言う議論がカメラ雑誌にまで載っていた時代である。 やれ 『戦争地域での取材では、銃弾を受けないためには目立たない黒のカメラが有効である。』 とか、 『スナップ撮影では、相手にカメラを意識させない。』 とか。 そんなのは実は、単なるこじつけで真っ赤な嘘である。 理由は単に。 「格好良い」だけである。 どうも当時の評論家は素直ではないようであった。 そうして、苦労の末に手に入れたのが『Canon FTb』だった。 これまでには父を説得する長い過程があって、まるで脅迫のようにパチンコの浪費を散々指摘して、仕方なく買わせたような節も無きにしもあらずだった。 父は実に嫌そうに買ってくれた。 一方で父は、私の大学合格祝いの前倒しだから、合格してもこれ以上は買ってあげないからと、私に約束させたのである。 敵もさるものである。 実にしたたかである。 しかし、そうして半ば親を脅迫して手に入れた、憧れのブラックボディーは実に美しく、現代のカメラにはない『塗り』による光沢が実に見事だった。 このカメラは今も現役で私の手元にあるのである。 そんな訳で、カメラはほぼ満足できるものを手に入れる事ができたが、やはり技術だけはいかんともしがたかった。 4年間で写真の腕は多少進歩したとは言へ、やはり自己流が故の壁と言うものもあった。 そんな時、当時高校生では興味ないと思うような、LIFE写真講座を始めたのである。 世界的雑誌『LIFE』のカメラマンによる解説講座である。 はっきり言って、これには心酔した。 写真という分野が奥深いものとは思いも寄らなかった。 当時の解説資料の大部分が手元にはなくなったが、このハンドブックだけは大切に今でも保存しているのである。 いわば、現在の原点とも言えるハンドブックである。 写真の基礎を解説したこの冊子は、いまだに私にとってカメラ以上の『宝物』なのである。 そんなJAZZ少年も今や立派なJAZZオヤジになって、30台以上のカメラや40本以上の交換レンズを所有するカメラオタクになっている。 しかし、『梅娘』から始まったカメラとの付き合いは、こうしてブログを通じて色々な方々との交流を生み、写真の面白さを改めて教えてくれたのである。 父の『柱のカメラ』は、今や写真という枠を超えて、人間としての大切な繋がりを生み出して、このブログを見てくださっている全ての方との交流の源になっているのである。
by jazz-photo
| 2009-02-21 16:11
| フォトエッセイ
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