2015年 03月 11日
東日本大震災に想う その1
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分。
私は茨城県東海村の職場でパソコンのキーを叩いていました。
小さな揺れを感じた時、正直なところ「また、地震か!大したことは無さそうだな!」と思い、気も留めなかった。
しかし、揺れは収まるどころか、轟音とともにその激しさを増していった。
気が付いて周りをみると、すべての什器は倒れ、窓のサッシは砕け散っていた。
しかし、生きていた!
でも、家族の安否は分からぬまま、自分の職務を果たすことしか頭にはありませんでした。
それから間もなく、私は災害派遣で福島に向かいました。

通行止めになった常磐道を災害派遣の自動車だけが慎重に走り抜ける中、私も大熊町に向かいました。
それから程無く福島市に移動せざるを得なくなりました。
原発事故です。
その時の通行止めになった東北道安達太良高原SAの写真です。
SAでは災害派遣の車両のため、少ない物資の販売を続けて下さっていました。
(今回の写真は全て古い携帯電話で撮影してますので、見難い点はご勘弁ください)
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私達の派遣先では、道路は陥没して寸断されていて、迂回路では段差を丸太を重ねて車を通さなければなりませんでした。
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沿道では、住民の方々が被災したご自宅の片づけと倒れた墓石の補修をされていました。
私達も車を止めて墓石を起こすお手伝いをしましたが、災害にも負けずに花咲いたフクジュソウに癒されました。
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被災地では、この立て看板が!
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当初、私達は満足な食事も摂れずに非常用食料を細々と食べていたのですが、そんな時に宿の方がどこから工面してきたのか、美味しい食事を提供して下さいました。
その時の食事がこちらです。
スタッフの皆さんさえ、食べるものがなかった時に提供して下さった貴重な食事です!
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私たちは、震災や原発事故の事実や教訓を決して忘れたり風化させてはなりません。
そして、その時に接した福島の方々の優しさを忘れることは出来ません。
日本人の持つ美徳です。

その2に続きます。

by jazz-photo | 2015-03-11 21:34 | その他 | Comments(6)
Commented by ヒカリ at 2015-03-11 21:52 x
jazzさん、辛かった気持ちを伝えてくれて
ありがとうございます。+゚(*ノ∀`)
私が出来る事、伝えていけるように、
私なりに頑張ります♪
あ!これだけは、
現地の人達も、私達も、分かってます
Commented by hisako-baaba at 2015-03-11 22:20
jazzさんは任務で随分危険な場所へ行かれて、さぞかし大変でしたでしょう。
その間奥様は、お家に被害が有ったのに、何もかも一人で片付けなくっちゃならなかったのでしょう。お年寄りのお世話をしながら。
お二人とも大変でしたね。

被災地は、まだまだ前途多難。オリンピックで誰かに儲けさせてる場合なんでしょうか。
Commented by たぬ at 2015-03-12 18:13 x
お疲れさまでした、としか言えないです。
本当にお疲れさまでした。
Commented by jazz-photo at 2015-03-19 18:40
ヒカリさん、こんばんは。
こちらこそ、コメント頂いて有難うございました。
そうですね、是非とも次世代に伝えていってください!
本当に有難うございます。
Commented by jazz-photo at 2015-03-19 18:46
hisako-baabaさん、こんばんは。
当時は危ないという意識は全くありませんでした。
考える余裕さえありませんでした。
家内は本当に留守宅をしっかり守ってくれていました。
大変だったのではないかと思いますが、愚痴も言わずに頑張っていました。
私もそう思います!
Commented by jazz-photo at 2015-03-19 18:47
たぬさん、こんばんは。
ありがとうございます。
たぬさんは私の気持ちが良く分かっていただいてると思っていますので、本当に嬉しいです。


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