2008年 08月 20日
以前、私のブログでも「伝統の技 『八幡馬』 」としてご紹介させていただいている、青森県の伝統工芸士 大久保直次郎さんの工房へお邪魔させていただいた時に、とても可愛い八幡馬を見せていただきました。 この八幡馬は、大久保さんの娘さんが八幡馬製作の練習のためにお作りになったものとの事でした。 それにしても見事な出来で、この八幡馬、実は横幅25mm、高さ30mm程の本当に小さな小さな八幡馬なんです。 その中に伝統の技を盛り込んで、千代紙も丁寧に張ってありました。 通常の八幡馬と並べてみるとその小ささがわかります。 本当に素晴らしいものでした。 そして、こちらの切り株のような『木』はなんだと思いますか? ただの『木』ではないんです。 実は万力なんです。 大久保さんのお話によれば、先代から使っていたとの事で、溝に製作途中の八幡馬を挟み込んで、木製の楔で留めて使います。 こんなところにも、八幡馬の製作に情熱と技を伝える、大久保直次郎さんらしい職人としての誇りを感じます。 こうして、この木製万力で八幡馬の原型が作られていくんです。 実際にこうしてお話を伺いながら工房を見学させていただくと、大久保さんのお話、一つ一つに重みを感じます。 大久保直次郎さんの作品は八戸駅のユートリー1階にもありますので、是非、この『木製万力』を想像しながらご覧になってみてください。 #
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| 2008-08-20 22:46
| 技の風景
2008年 08月 17日
福島県いわき市には、江戸時代の名僧祐天上人(ゆうてんしょうにん)により、誰にでも分かりやすく念仏を唱える方法として、お経(南無阿弥陀仏)の言葉を歌にあわせて唱えたものとして伝えられています。 『じゃんがら念仏踊り』は旧暦のお盆(8月13日~15日)に行われ、その年に新盆を迎えた家々を回ります。 太鼓を身につけた踊り手と、鉦そして地域によっては横笛が加わって奉納されます。 踊りにも地域性があって、ゆったりとした動きから激しい動きまでさまざまです。 基本的には青年会が中心になって踊りますが、保存会として子供たちを加えて伝えていく町内も多くなっているようです。 太鼓のばち棒にはうさぎの白い毛が付いています。 踊りの先頭には必ず提灯があります。 青年会の誇りとも言えるかも知れません。 基本的な衣装は、浴衣に白く長いタスキです。 今は女性も加わってるようですね。 踊り手の太鼓には染め抜きで『南無阿弥陀仏』と書かれています。 激しい踊りに魅了されます。 この伝統が長く受け継がれていくと良いですね。 #
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| 2008-08-17 20:44
| 祭り・イベントの風景
2008年 08月 16日
お盆の送りとなった今日、水戸市の旧市街を流れる備前堀で『灯篭流し』が行われました。 あいにくの雨の中、多くの方たちが備前堀を訪れ、灯篭に載って帰ってゆく先祖の霊に手を合わせていました。 (風も強く、撮影には最悪のコンディションなので、画像が不鮮明ですいません。) 僧侶の読経の中、灯篭は次々と水面に浮かべられていきます。 流れる灯篭で、備前堀は幻想的な雰囲気になります。 優しい蝋燭の灯火が揺れ、灯篭は人々の祈りの中、静かに流れていきます。 ※お礼 皆様方のご支援を頂きまして、この『JAZZの普段着写真館』も20000アクセスを超えました。 サボり気味のブログにもかかわらず20000アクセスも頂きまして、本当に有難うございました。 これからも、友人・家族の助けを借りながら細々ながら頑張っていきますので宜しくお願いいたしますm(_ _)m。 #
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| 2008-08-16 21:50
| 祭り・イベントの風景
2008年 08月 09日
今日は、テレビの時代劇でお馴染みの「水戸黄門」にまつわる話題です。 もちろん、水戸黄門はれっきとしたお殿様で、本名は『徳川光圀』と言う名君でした。 光圀は農民と自分との目線の高さを同じにするなど、領民をことのほか大切にしたようです。 ドラマ「水戸黄門」で諸国漫遊のお供をしたのが、佐々木助三郎(助さん)と渥美格之進(格さん)ですが、ともにお供をしたかどうかは分かりませんが実在の人物と言われています。 助さんは、佐々十竹(ささじゅちく)(介三郎宗淳)(1640~1698)、格さんは安積澹泊(あさかたんぱく・覚兵衛)(1656~1737)と言って、実は水戸藩彰考館(今で言うと日本史研究所かな)の総裁をつとめた学者だったんです。 実際は、お供をしたとはとても思えないですけどね(^^;)。 テレビドラマの『水戸黄門』には、そのほかに忍者の『風車の弥七』と弥七の女房『お新』が出てきます。 ドラマの中に登場する『風車の弥七』と弥七の女房『お新』に相当すると思える人物が実在したと言われています。 ただ、『水戸黄門』のシナリオとは縁が無いという話もありますが、まあ、ロマンとして見て下さいね。 茨城県常陸大宮市松之草には、『風車の弥七』と『お新』の墓と住居跡があります。 これが住居跡です。 今は畑になってネギなんかが植わってます。 『風車の弥七』に相当すると思える人物は、本名「松之草小八兵衛」だそうで、盗賊の頭領だったそうです。 武芸にも優れていたのですが、その後捕らえられてしまいます。 しかし、光圀は厳罰をもって処すのではなく、尊徳を持って助命して一生涯俸給を与ええたそうです。 『松之草小八兵衛』は、その恩に感激して「自分の在命中は、決して御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓い、本当に盗賊は入れなかったと言われています。 また、『松之草小八兵衛』は、領内・隣国の動静を探って光圀に報告していたことから、『水戸黄門』での描かれ方に非常に似ているのではないかと思います。 住居跡の山側にお墓がありました。 『松之草小八兵衛』は、元禄11年(1698年)旧暦5月2日に亡くなっています。 一方、『松之草小八兵衛の女房(お新にあたる)』はどのような人物だったのかはわかりませんが、元禄4年(1691年)旧暦1月11日に亡くなっています。 ここには、訪れる人のためにトイレが設置されていますが、一般的な「男性用」、「女性用」ではありません。 女性用トイレには、『お新』。 男性用トイレには、『弥七』と書かれています。 お墓から程近い場所には、水戸藩の紙漉場跡があります。 この地方は古くから優れた和紙の産地として知られています。 勉学を奨励した水戸藩では、紙の需要が高かったんでしょうね。 中には、古い紙漉きの道具が展示されています。 弥七やお新が本当に実在したかどうかや、ドラマでの偶然なのかははっきりしませんが、こうやって何らかの言い伝えがあったことは事実です。 庶民や農民に慕われた「水戸黄門」は確かに名君だったことでしょう。 #
by jazz-photo
| 2008-08-09 21:54
| 歴史の風景
2008年 08月 07日
暑い日が続いていますが、皆様、体調は大丈夫でしょうか? 一部の地域では雷による豪雨などが発生していますね。 皆様の地域は大丈夫でしょうか? このブログも長らくお休みさせていただいておりましたが、仕事も家庭もやや落ち着いて参りましたので、徐々に更新を始めようと思います。 最近、ブログのタイトルから『青森編』が取れたのをお気づきでしょうか? これからは地域にとらわれることなく、純粋に写真記事を掲載していきたいと考えました。 これからは、私だけでなく、私の家族もこのブログを共有していくつもりです。 どうか、今後とも宜しくお願いいたします。 また、コメント欄も復活しております。 ただし、仕事や家庭の関係で不定期更新となりますので、どうかご容赦くださいm(_ _)m。 <お礼> コメント欄を復活させましたら、思いがけず多くの皆様から温かいメッセージを頂きました。 本当に有難うございました。 仕事は忙しいですが、やはり写真は頑張って続けていこうと、改めて思いました。 まだまだ残暑が厳しいですが、皆様も体調にはお気をつけくださいね! #
by jazz-photo
| 2008-08-07 22:08
| その他
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