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2009年 02月 16日
フォト・エッセイ 第一章 「柱のカメラ」
 私がまだ小学生だった頃、私の家族は東京の府中に暮らしていた。
それは、今では全く見られなくなった長屋風のボロアパートで、お世辞にも綺麗とは言い難い代物だった。
 学校から帰ってきて、玄関口で『ただいま~!』って言いながら駆け上がると、勢い余って裏口に抜けてしまうような家だったのである。
もっとも、どちらが玄関でどちらが裏口なのかは今もって判別しがたいものではあった。

 私の父は、陸上自衛官であった。
給料もそんなに高くなかったのかもしれないが、無類のパチンコ好きで、日曜になると、せっせとパチンコ屋に通い詰めた。
それ以外の趣味と言えば、プロレス中継の観戦だった。
プロレス中継の時間になると、電気屋のショーウィンドーに人が群がった時代である。
何を思ったのか、ある日、父は一般市民には縁がないと思われたテレビを買ったのである。
突然に・・・・。
新品のテレビは、長屋には不釣合いのように神々しく、ブラウン管の前には横綱の化粧廻しのような立派なカバーが掛けられていた。
父はこれで、心置きなくプロレス中継を見られる・・・・・、筈であった。
しかし、状況は思わぬ方向に向いていってしまったのである。
プロレスの中継時間が近づくと、近所の人々が座布団を持って狭い我が家に群がり、テレビを買ったはずの肝心の家族は、人々の肩越しにしか見ることが出来なかったのである。

 そんな父が、ある日突然に、草臥れたカバンの中から茶色く四角い箱を取り出した。
『こんなの見たことあるか?』と言いながら、箱を開けると、そこにはまた黒い箱が納まっていた。
父が小さな銀色のボタンを押すと、『カシーン』と言う音を立てて、レンズが飛び出してきたのである。
『これは、マミヤシックスって言うカメラなんだぞ!』
『凄いだろう?』
子供心に、何が凄いのかは判らなかったが、とにかく高価そうなことだけは判ったような気がした。
なにしろ、我が家で『精密機械』と呼べる初めての『ブツ』だったのだから。
父の話を聞くうち、どうもこれは買ってきたものではないらしい、と言うことも判ってきた。
父の弁によれば、職場からの帰りの電車の中で拾ったのだそうだ。
こんな高価なものを落とす方も落とす方だが、国家公務員ともあろうものが警察に届けないで持って帰ってきてしまうことには呆れたものだった。
その頃小学生だったJAZZ少年でさえ、学校では『何か拾ったら、警察に届けましょうね!』って教育されていたのに!
当時の一か月分の給料より、カメラの方が絶対に高かった時代のことである。
もう、その父も亡くなってしまったので、今、ここでばらしても事情聴取を受けることはあるまいが・・・。
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しかし、父がそのカメラで写真を撮っているところを私はついぞ見たことがなかった。
もしかしたら、写真には興味がなかったか、それともフィルムを買ったり、現像や引き伸ばしをしたりする小遣いがなかったのかは、今となっては分からない。
せっかく、我が家にやってきたマミヤシックスではあったが、そのカメラはJAZZ家の家族写真を一枚も写すことなく、息子の成長を記録することもなく、ただ、家に中に下がっていた。
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そう、柱に打ち付けた釘から下がっているだけであった。
もし、カメラをどけたら、そこだけ柱の色が白いのではないかと思わせるような、時の流れの中で静かに下がっていたのである。
それが、JAZZ少年とカメラの出会いであったのである。

by jazz-photo | 2009-02-16 00:45 | フォトエッセイ


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