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2009年 02月 18日
フォト・エッセイ 第四章 「生あるもの」
 中学生になってからは、数学のT先生の影響もあって生物部に入った。
T先生は県内でも有数な蝶のコレクターであり、結核で片肺がないにもかかわらず、日本中を採集して回るような強者だった。
 県内でも先生だけしか採集記録のないような珍しい蝶も集めていて、JAZZ少年はそのバイタリティに興味を引かれたことと、理科室にはT先生の採集した蝶の標本が飾ってあって、その美しさに目を奪われてしまったのがきっかけだったと思う。
 以来、私も蝶の図鑑を読み耽って、未だ見ぬ珍しい蝶の飛ぶ姿を想像して、捕虫網を持って野山を駆け回るちょっと『健全』な昆虫少年になっていた。
中学二年生の時には、ミヤマカラスアゲハの蝶道(ミヤマカラスアゲハは縄張りを作って、巡回する性質を持っている。)のコースや蝶道の周りの植物相を調べあげて、夏休みの研究に対する賞を受賞したこともあったのである。
 私は夏休みに県北部の山中で、大好きなクジャクチョウを採集して標本を作った。
しかし、どうもしっくり来ないのである・・・・・。
飛んでいる時はあんなに美しかった羽の色も、標本にしてしまうと色褪せてしまってどう見ても美しくないのである。

 そんな夏休みのある日、社会科のS先生のご自宅に誘われて遊びに行ったことがあった。
S先生もカメラ好きで、学校では学校新聞の顧問をしておられ、肩からカメラを提げた姿を私もよく見ていたので、カメラの話が出来ると思うとちょっと嬉しかった。
お煎餅を食べながらカメラの話をするうち、例の標本の色に関しての話題になった。
私が美しくないと言う話をした時、S先生は、
『おまえはカメラが好きなんだから、標本にしないで写真にしたらどうなんだ?』
『それなら、蝶を殺すことだってしなくて良い筈だろ?』

確かにそうだった。
JAZZ少年にとって、S先生の『殺す』と言う言葉がとてつもない重みを持って響いてきたのである。
確かに、標本にするということは『生あるもの』の命を奪うことに他ならないことに、強い衝撃を感じた。
今でこそ、釣りを楽しんだりしてそれなりの『殺生』をするのだが、当時はもっと純粋なJAZZ少年だった。
実は、写真で蝶を撮るなんて考えもしなかったし、出来るとも思わなかった。
一眼レフカメラで『梅娘』を撮るようなませた少年ではあったが、採集という行為が『生あるもの』の命を奪うことになるとの考えまでは到底及ばなかった!

 JAZZ少年はその日を境に、捕虫網をカメラに持ち替えた。
しかし!
現実はそんなに甘くはなかった。
全く写真にならないのである。
目では楽々追いかけられても、カメラのファインダーから覗くと、あの間延びしたようなモンシロチョウの羽ばたきでさえ、とてつもなく速く見えて、ピントを合わせる余裕すらなかった。
花に止まった蝶を狙おうとしても、標準レンズでは小さくしか写らないし、かと言って近づくと飛び立ってしまうしで、写真を撮ると言うことがどんなに難しいかを身をもって知る結果となったのである。
フォト・エッセイ 第四章 「生あるもの」 _f0149209_21412827.jpg

『梅娘』は飛び立たなかったので、写真の難しさや奥深さに気がつかなかったのである・・・・・(汗)。
 それからは、勿体ないのでフィルムを入れないで、キアゲハやモンシロチョウ等の身近な蝶でピントを合わせたり、シャッターチャンスの取り方などのカメラワークの練習に明け暮れ、生物部の中でも『ちょっとあぶない系』の存在になっていった。
 でも、その甲斐あってか、写真の腕は格段に進歩した。
フォト・エッセイ 第四章 「生あるもの」 _f0149209_2132797.jpg

『梅娘』も以前よりずっと綺麗に写せるようになっていたのである。

ここに使用した写真は、現在のJAZZオヤジが撮影したもので、当時の写真ではありません。
あしからずm(_ _)m。
当時のネガは、父が自宅を改装する際に全て燃してしまいましたので残っておりません。


by jazz-photo | 2009-02-18 21:46 | フォトエッセイ


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